2009年06月14日

焼酎(しょうちゅう)とは酒類のうち蒸留酒の一種である

日本国内では酒税法によって種別基準が定められており、連続蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられている(2006年5月1日酒税法改正による変更)[1]。焼酎への酒税は政策的に安くされていた[2][注釈 1]。また、大衆酒として広く飲用されてきた歴史がある[3]。

南九州を中心に醸造が盛んである[4]。

また、長崎県壱岐や伊豆諸島など島嶼でも焼酎が醸造されている[5][6]。アルコール分の高い焼酎は日本酒よりも少ない容積で貯蔵でき、狭い島でも扱いやすいことなどが影響している[要出典]と考えられている。

酒税法では「アルコール含有物を蒸留した酒類」のうち、以下の条件を満たす酒類を焼酎としている[1]。

発芽した穀類を使用していない
白樺の炭などで濾過していない
蒸留時に別途定められている物品以外を添加しない
アルコール度数が連続式で36度未満、単式で45度以下を下回る
思い出の童謡集
アジアの歴史
太陽のお話
百人一首
やすらぎ★アロマ
かわいいペット・秋田犬
紅茶伝説
医学・女性のための情報集
バラ・ローズのため息
楽しいかたかな
テーマパーク
狂言
クロマトグラフィ
軟体動物
産科学
同人誌
博物館
図書館
振付師
生化学

焼酎の起源は正確には分かっていないが、比較的有力な説は、シャム(現在のタイ王国)から琉球経由でもたらされた、とするものである。シャムの蒸留酒は更に中東に起源を持ち、アラビア語で「アラク」(???)と呼ばれた。焼酎は古くは「あらき酒」、もしくは蒸留器を指す「ランビキ(蘭引、英語でalembic、アラビア語でアル・インビーク(???????))」と呼ばれた。中国・韓国語では「燒酒」と表記される。[要出典]

日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。例えば1546年に薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルにヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraqua;オラーカ=アラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している[9]。

また、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社には、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の落書きが伝わっており、焼酎の飲用について日本国内に残存する最も古い文献となっている[7][8]。

その初期から明治時代中期に至るまでの焼酎は、製造に単式蒸留器を用いており[8]、現代の法体系でいうところの「焼酎乙類」に限られていたが、明治28年頃にイギリスから連続式蒸留機が輸入され、高純度アルコールが安価に大量生産できるようになった[10]。この製法のものが「新式焼酎」として広まり[10]、対して在来の焼酎は「旧式焼酎」と呼ばれるようになる[11]。

その後、酒税法で「新式焼酎」にあたる「焼酎甲類」と、在来焼酎にあたる「焼酎乙類」の区分が制定された[1]。

2009年05月29日

雨(あめ)とは、空から水滴が落ちてくる

雨は、気象学的には、地球上で水が循環する過程(水循環)で起こる降水現象の一つと位置づけられる。

雨は、上空の気温(氷晶になるかならないか)により以下の二つに大別できる。すべての雨は空気中の水蒸気を起源とする(気体である)が、それ以降、液体と固体の状態を経て降る雨が冷たい雨、液体の状態だけを経て降る雨が温かい雨である。
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ただし、これらとは異なる機構で発生する降水現象もある。冷たい雨と同じようなプロセスを経るもので、はじめから気温0℃を大きく下回る空気の中に入っていて、水蒸気が昇華して氷晶となるところから始まるものもである。これは具体的には細氷を指すが、雨とは異なるのでここでは詳説しない。

水蒸気が凝結してできた水滴が、気温0℃を大きく下回る空気の中に(上昇して)入って凍り、氷晶となって成長し、気温0℃を大きく上回る空気の中に(落下して)入って融け、降る雨。解けずに降れば雪など(その他に霰、雹が含まれる)になる。

2009年04月25日

オスマン帝国憲法

オスマン帝国憲法(おすまんていこくけんぽう、Kanun-ı Esasî)は、1876年に発布されたオスマン帝国における成文憲法典。当時は「基本法」(Kanun-ı Esasî) と呼ばれており、憲法作成に中心的役割を果たしたミドハト・パシャの名にちなみ、ミドハト憲法とも呼ばれる。一説にはベルギーの憲法を参考にしたといわれる。

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日本の大日本帝国憲法より13年早く発布されたため、トルコをアジアの国と捉えるならば、アジア初の近代的憲法典であるとも言える[1]。ただし2年後の1878年に憲法停止となり、1908年まで30年間専制政治に復することになった。

憲法が発布された1876年当時のオスマン帝国の情勢は、前年からのボスニアでの反乱(ボスニア蜂起)がブルガリアに飛び火し(4月蜂起)、これらのバルカン半島で起きたオスマン帝国に対する諸反乱に対して、ロシア帝国が正教徒の保護を口実に介入の構えを見せているという状態であった。また、西欧諸国ではこれらの反乱の鎮圧時にオスマン軍による残虐行為があったと報道され、オスマン帝国に対する不信感が生じつつあった。

このような緊迫した状況の中で、ロシアに対抗するためには諸外国のオスマン帝国に対する支持を取り付けつつ、国内においてはさらなる近代化を図る必要に迫られた。こうして近代化改革の続行を内外に示すことを目的に憲法の制定が行われることになり、スルタン・アブデュルハミト2世は憲法制定を求める勅令を出す。これに基づいて、立憲派の中心的人物であるミドハト・パシャを委員長とする制憲委員会が設けられることとなった。制憲委員会には「新オスマン人」と呼ばれる立憲派の他にキリスト教徒の委員なども含まれており、約2ヶ月の論議の末、1876年12月23日にオスマン帝国憲法は発布された。また発布に先立ち、ミドハト・パシャは大宰相(首相に相当)に任命されている。

憲法の内容は主にギュルハネ勅令や改革勅令といった、西洋化を目指すそれまでのタンズィマートによる諸成果を踏まえたものであるが、憲法に対して保守派の間で激しい抵抗があり、また、スルタンは憲法によって自らの権力が制限されることを警戒し、憲法に対して否定的であった。このためミドハト・パシャは、国家にとっての危険人物をスルタンが国外追放にすることができるという条項を加えることでスルタンと妥協し、発布にこぎ着けた。

憲法に基づいて1877年3月19日には議会が召集されたが、1878年2月14日にアブデュルハミト2世は露土戦争の敗北を口実に憲法を停止し、下院を閉鎖した。またこの憲法の父とも言えるミドハト・パシャは議会の召集を前に国外追放となっていた。この憲法の発布から停止までの期間を、オスマン帝国における第一次立憲制と呼ぶ。

これらの行為はあくまでも憲法第113条(後述)に基づく措置とされ、名目上は憲法の停止は「合法的」に行われることとなった。しかし、アブデュルハミト2世は自らの措置が合法的であるという名目を維持するために憲法を「廃止」することができず、あくまでも「停止」に止めざるを得なかった。このことは、憲法が停止されていたアブデュルハミト2世の専制期においても、スルタンの地位を保証する法的裏付けは皮肉にも停止中の憲法であったということを示しており、憲法に則って国事を行うという「姿勢」だけは停止中も維持されていたとみることができる。 とはいえ、アブデュルハミト2世が憲法停止後に反動的な専制政治を30年にわたり展開したということは事実であり、オスマン帝国憲法で謳いあげられた理念のうちのいくつかは、この間は棚上げされることを余儀なくされた。ただし、この専制復活により国内におけるスルタンの権威が一時回復し、帝国そのものも一時的な小康状態を得たのも確かである。

その後、当時のオスマン帝国における知識人層はこの憲法の停止状態こそがオスマン帝国の衰退に拍車をかけている元凶であると考えるようになり、憲政の復活を目指して国内外で活動を活発化させた。これらの結果、1908年の統一と進歩委員会による青年トルコ人革命によって憲政は復活することとなった。その後、第一次立憲制の終焉を招いた第113条などに若干の修正が行われた上で、1918年の第一次世界大戦におけるオスマン帝国の敗戦まで統一と進歩委員会の主導による同憲法下の政治が行われた(第二次立憲制)。

内容
全119条からなり、以下のような内容を含んでいた。

スルタン=カリフ制の明文化(第4条)
ムスリム(イスラム教徒)と非ムスリムの平等(第8条)
オスマン語(トルコ語)が公用語であること(第18条)
上下両院からなる議会の開設(第42条)
西洋式の法律に基づく裁判所とシャリーアに基づく裁判所の並立(第87条)
スルタンは戒厳令を発令し、危険人物を国外追放に処すことができる権利を持つこと(第113条)

2009年04月08日

ハードコアテクノ

ハードコアテクノ (Hardcore techno)は、「ハードコア」としてオランダの人々に知られており、1990年代初めから半ばにかけてオランダのロッテルダム、アメリカのニューヨーク、オーストラリアのニューキャッスルなど多数の場所で出現した電子音楽のスタイルである。音楽スタイルとしては、高速なテンポ(140-300BPM。時にはそれ以上)と、歪んだ機械的なビートと、リズミカルなサンプルの使用が特徴である。

単に「ハードコア」(Hardcore)と呼ばれる事も多いために、USAやロシアにあるエモーショナル・ハードコア (Hardcore emo)あるいはハードコア (Hardcore punk)と混同される事もある。

歴史 [編集]
メスカリナム・ユナイテッド (Mescalinum United) の"We Have Arrived"(1990年)が、最初のハードコアテクノの曲であると考えられる事が多い。[1][2]

作曲の手法 [編集]
ハードコアテクノは現在、ミュージックシーケンサーを用いて作成される事が一般的であるが、以前はMODトラッカーによりパソコンで作成されていたものも多かった。多くのハードコアテクノのミュージシャンは、コンピュータの持つ幅広い可能性を活用し、金銭的な見返りを顧みずに自己満足と新しい作曲手法を考案する楽しみのために曲を作成している。

ハードコアテクノの種類 [編集]
ハードコアテクノが進化し続けるにつれ、異なったタイプのハードコアが出現し、ファンやプロデューサーからも多くの支持者を増やしていった。更に、新しくできたサブジャンルは、それぞれに特徴が明確となって他のハードコアテクノとは明らかに異質なものへと進化しいった。 また、ハードコアテクノとは工員の単調作業を揶揄する表現でもある。

ハードコアテクノのサブジャンルと、同時期に派生したスタイル:

オールドスクール (Old Skool)
通常、ハードコアテクノが発生して黎明期にあった90年代初期に作成された曲を指す。けたたましいピアノロールと跳ねるようなベースライン、それからブレイクビーツと安っぽい女性ボーカルの多用など、いわゆる古い「レイヴ」的な音が特徴。
ブレイクコア (Breakcore)
ハードコアテクノへ、ブレイクビーツとグリッチ音楽 (Glitch)の要素を組み合わせたもの。非常に高速なテンポでプレイされる事が多い。
フリーフォーム (Freeform hardcore)
ハードコアテクノからの派生というよりも、多くの電子音楽ジャンルの集積とみられる。フリーフォームは、テンポとリズムが似通っているためにハードコアテクノと呼ばれる事が多いが、むしろアシッドハウスやドラムンベースのような、他ジャンルの要素が大きく影響している。
フレンチコア (Frenchcore)
独特なバスドラムを使用し、180-250BPMの間で振動している高速なハードコアスタイル。フランスではhardtekやteknoとも言われ、freetekというパーティーでよくプレイされている。ハードコアシーンに出現したのもそこからである。
ガバ (Gabberあるいはgabba)
テンポは140BPM以上で、オランダと日本で最も人気が高い。
ハッピーハードコア (Happy Hardcore)
ハッピーハードコアは、おそらく最もポピュラーで、最も商業的に優れたものへと変化している。ポジティブで非常に活気溢れる曲調が特徴。
ハードスタイル (Hardstyle)
難解なシンセリフと、4 to the floorのベースラインが特徴。通常、ズタズタに寸断されたサンプルが曲の中で何度もループしてプレイされる。
シュランツ (Schranz)
非常に重低音が強調されたバスドラム、それに激しいパーカッションと、ディストーションを掛けたシンセノイズをループさせているのが基本的スタイル。
スピードコア (Speedcore)
200BPMから、中には更に高速なエクストラトーンという、1000BPMに至る曲のジャンルもある。
テラーコア (Terrorcore)
「恐怖」または「邪悪」なサンプルを使用して、曲へ気が狂ったような「テロ」感覚を与えている、オランダからの悪夢の贈り物。1990年代半ばから後期に渡り、オランダのロッテルダムで普及した。
トランスコア (Trancecore)
トランスのテンポを高速化したハードコアテクノのスタイル。最初に作成されたトランスコアの曲は、文字通りトランス曲をタイムストレッチしたようなものであった。やがて、リフやメロディーの要素を他のトランスから取り入れ、ハードコアなベースラインと高速なテンポのスタイルとなった。
ハードコアテクノのコミュニティーは、互いが密接に結び付いている。そして、地域によって多くのジャンル名や定義が異なっている。このため、ハードコアテクノのサブジャンル名が、「フランクフルトサウンド」や「フレンチサウンド」などのように、市や国によって分類されている事も多い。

Jコア [編集]
海外を中心として、一部の日本人ハードコアテクノアーティストの楽曲を『J-CORE(Jコア)』と称して注目している。
Jコアの定義としては、「ハッピーハードコア、UKハードコア、ガバ、スピードコアをベースとしつつも、(海外の)メインストリームとは異なるスタイルのハードコアテクノ」とされている。近年同人音楽の世界においてハードコアテクノの人気がかなり高くなっている事と、海外で日本のオタクカルチャーが注目されている事などを考慮すると「日本人が日本人的センスで製作したハードコアテクノ=Jコア」と言える。現在ではサブジャンルそのものも多様であるが、単純に日本人アーティストだけではなく海外のアーティストが「日本人的感覚で製作した楽曲」をJコアと称する事も出来る事(その筆頭と言えるのが、イギリスで注目を集めている若手クリエイターであるJAKAZiDである。(自らJコア好きを明言している))、日本人アーティストの作品にアニメ調のジャケットイラストを使用するものが多数ある事などを考慮すると、ハードコアテクノのサブジャンルの1つと言えるのと同時に同人カルチャーの1つとも言える。ちなみに海外でJコアというムーブメントを巻き起こすきっかけとなったのは、現在日本のハードコアテクノシーンのパイオニアといえる存在であるSHARPNEL.NETである。

パノラ 暮し情報 ブーケ アカシア シーケン ブッサフマ ミストダ ユーロ ミリタ チャーミ 陽陽次 シャルテマ しゃる 淡き宵 プレス ウーハイ コラー オパールグ マイト モルフォ チュー エージ ソロ ブルカ ムスタ サイボー パクト けいらい トランス おおわひん シーラ ネクタ グアニリ モスキ アングル コロンボラ ボイルド しめじ アカンバ ダイナマイ テレメ 検索メンス テラス ドクダミ ルランナー モーリシャ プレスリ セルン ブレー さんじゅ

2009年03月24日

名鉄モ800形電車 (2代)

名鉄モ800形電車(めいてつモ800がたでんしゃ)とは、2000年(平成12年)から2005年(平成17年)まで名古屋鉄道(名鉄)の軌道線で使用された路面電車である。

名古屋鉄道在籍時代は美濃町線・田神線の新岐阜(現・名鉄岐阜)駅発着系統のイメージアップを図るため日本車輌製造にて3両が製造され、2000年(平成12年)7月に運行を開始した複電圧車両。

車両のスタイルは、大きな窓を採用したヨーロッパのLRV (Light rail vehicle) 車両に似た印象の外観に、バリアフリー時代に対応すべく部分低床という特殊な床構造をした3扉車である。

部分低床構造とは、中扉をノンステップ、前後扉を3ステップとし両方を10%のスロープで結んだ構造。床面の高さは車体中央部をレール面より420mm・台車上部を720mmとしている。このため台車は外側(動軸)と内側(従軸)とで車輪径が異なる特殊な構造を採用している。

中央が低床のため、制御装置等は屋根上、空気圧縮機はパンタグラフのある側の運転台床下に搭載している。車内もスロープ構造となっているため固定クロスシートを装備している。

主回路はVVVFインバータ制御、シングルアーム式パンタグラフ、回生ブレーキを装備。乗降扉の開閉に連動して動くステップを装備している。

2001年(平成13年)に鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

2005年(平成17年)3月31日の名鉄岐阜600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)の廃止により、名鉄では廃車となった。

渡後の状況 [編集]

豊橋鉄道
豊橋鉄道東田本線へは、モ801の1両が名古屋鉄道より譲渡され、2005年5月頃にモ780形3両(譲渡されたのは7両だが車庫スペースの関係で2回に分けて入線)とともに豊橋鉄道赤岩口工場に入庫した。

営業運転開始にあたっての改装は、豊橋鉄道仕様のワンマン設備の実装以外目立った変更は行われていない。なお、600V区間と1500V区間の走行を可能とする複電圧設備も残されているものの、豊橋鉄道では使用されることはない。また3扉車ではあるが、営業運転時は前乗り中降りのため、進行方向と逆側の運転台よりの扉1つは締め切りとなっていたが、競輪場前電停の安全地帯新設により、赤岩口方のものは、競輪場前停車時のみ乗車口として使用されるようになった。

会社創業80周年と豊橋市制100周年記念にあたる同年8月2日より、モ780形781号とともに運用を開始した。

車体カラーは基本的に、ライトグレーを基調に濃淡両方のグリーン帯を配した名鉄時代の塗装に、豊橋鉄道のロゴとマスコット「とよてっちゃん」を車体側面上部に記した程度。運用開始当初はは市制100周年記念「とよはし100祭」のロゴと「トヨッキー(豊橋市のマスコットキャラクター)」が側面に貼り付けられていたが、のちに『ドリーム電車』と称して豊橋市内の小中学生による絵画作品が車体側面に貼り付けられていた(2006年12月の「とよはし100祭」事業終了によって基本的な塗装に戻された)。

この車両は井原より運動公園前へ分岐する支線のカーブ(半径11m)を曲がることが不可能のため、駅前?赤岩口間での運用に限定されている。

福井鉄道
譲渡前の実績 [編集]
福井市では2001年(平成13年)10月12日から11月4日までの24日間、JR福井駅前電車通りトランジットモール実験が実施された。このときモ802が名鉄から福井鉄道に貸し出され、「すまいるトラム」として運転された実績がある。

車両譲渡?本格運用 [編集]
2005年(平成17年)、福井鉄道へは4年前に福井を走ったモ802に加えモ803の2両が譲渡された。名鉄岐阜工場(岐阜検車区)にて改装工事を行い、9月末から10月初めにかけて名鉄岐阜市内線のモ770形とともに搬出された。 福井搬入後についてまとめると以下の通りになる(2005年)。

10月15日の鉄道の日イベントにて公開と工場構内での試運転が行われた。
10月末の国民文化祭の期間中(10月21日?11月3日)には、1両 (803) が市内線限定(福井駅前?田原町間)の運行を行った。
11月19日に中部地区路面電車サミット(11月20日)の開催を記念し、事前申し込みのあった参加者を対象に市内線(福井駅前?田原町間)での試乗会が行われた。
なお、2006年4月1日から正式の運用に就いた。802は2007年の幸橋開通記念列車の際パンタグラフが折れて長期運用難脱していたが、翌年3月復帰が確認された。 なお、803がリチウムイオン電池試験車両となっていたが、 現在は802がリチウムイオン電池試験車両になっている。(803は運用復帰)

車両の変更点 [編集]
福井鉄道へ譲渡された車両の塗装は白を基調としており、前面部窓の下と側面部の窓部分に青帯、車両下部に黄緑と緑の帯が塗装されている。それぞれの色が福井の雪・海・野・山を表現している。

また、側面部のドア付近に福井鉄道のロゴマークが付されている。このデザインは同時期に搬入されているモ770形も同じである。

主要諸元 [編集]
製造初年:2000年
全長:14780mm
全幅:2220mm
全高:3650mm
自重:18.9t
車体構造:普通鋼製
定員:72人(座席30人)
出力・駆動方式:60.0kW×2、VVVFインバータ制御方式

タジーン ドジョブ セキュア きり ポストマン ニアミス フェデ ラテックス ホトトギス フェー タイダイ ふうせん ベリル そばみち メントール カネロニ キャンドル ファンク ブッシェル チェチ シュロチ チンネ じゃぼ ジベレリン タイシ ふらの タンキニ レユニ クロスボ 鉄人 リッポン ティナド いささ トリップ とうみょ ロレック ストップ プラン テンス プロテオ ノクターン ハコネ ハートフル タヒチ まるも ダウン ウェブ ザンサス びゃっこ マフィン

2009年03月09日

バスカヴィル家の犬

バスカヴィル家の犬(The hound of the Baskervilles、1901年、「バスカービルの魔犬」とも)は、アーサー・コナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ作品の1つ。世界的に高い評価を得ており、探偵小説の最高傑作に推す学者も多い。

ホームズの長編は4作あるが、この作品だけが2部構成を取っていない。

魔の犬の伝説がある富豪のバスカヴィル家で、当主のチャールズ・バスカヴィル卿が死体で発見される。表向きには心臓発作による病死と発表されたが、卿の死体のそばには巨大な犬の足跡があった。
レコーダ ケース チトク 時代の扉 僕達の舞台 フットホ セット リーダー ムーミン カーラ ヌーベ エンジェル ケーエフ マスメ ブラウ フェース コモン キモスタ スクハ プリン ユーロダ マリーナ ジョイント 天慶 シーザー ビブ シンプトン カラー ロケオ カザノ カラー レタッ サラマ トラン ロスタ マカラ グルプ アニメ クレス シーズンオ トンネル セリウ 楓の小舎 杜仲 サーチズミ ピース パラグ チポフ チョイス ムード

ホームズは事件の調査をチャールズ卿の主治医であり、友人でもあるモーティマー博士から依頼される。子息のいないチャールズ卿の正統な後継者は、チャールズ卿の甥にあたる若きヘンリ・バスカヴィル卿ひとりである。しかし、モーティマー博士に伴われてロンドンにやってきたヘンリ卿の元にも、バスカヴィルの館へ赴く事を警告する謎の手紙が届く。

ホームズはロンドンで別の事件に携わる必要があるといい、ワトスンが代わりにヘンリ卿の客人として入館に同行する。

委細ありげな執事のバリモアとその妻、脱獄囚のセルデン、近所に住む昆虫学者のステープルトンとその美しい妹のベリル嬢など、ワトスンは見聞きした事をホームズに向けた手紙や自らの日記に綴る。バリモアとその妻の不審な行動は何故なのか? 凶悪な殺人犯セルデンは何処へ潜んでいるのか?ベリル嬢は何故自分や、彼女に求婚するヘンリ卿にここを立ち退くよう懇願するのか?そして、自分が湿地帯ではっきり聞いた恐ろしい声は「魔の犬」の咆哮ではないのか……。

更にそれらの誰でもない未知の人物が、身近に潜んでいる事をワトスンは知る。

年代についてモーティマーがホームズの部屋に置き忘れたステッキに「1884」と年号が刻まれており、それを5年前といっていることから、事件が起こったのは1889年と考えるのが自然である。だが、1889年はワトスンが結婚生活に入っており、ホームズと同居していないため、矛盾が生じている。

研究者によってこの事件の発生年はまちまちであり、1886年から1900年までいろいろな説が出ている。

備考
1893年に「最後の事件」で一度ホームズが葬られてから、8年ぶりで発表された新作だった。ドイルは、ホームズという役者がすでにいるのに、新しい役者を用意する必要もあるまいと思った、と語っている。書店に押し寄せた読者が失望させられたことには、事件は(上述のような、年代にまつわる議論はあるものの)ホームズがライヘンバッハの滝へ転落する以前に起こったものとされていた。ホームズが本当の意味の生還を遂げるには、読者はもう数年を辛抱しなくてはならなかった。
1901年の春先、ドイルは腸チフスの後遺症で悩まされ、ノーフォーク州で療養していたが、その時に友人のバートラム・フレッチャー・ロビンソンから聞いたダートムアの伝説に着想を得て書き上げたのが本作である。このため本作の冒頭にはロビンソンへの献辞がある。
本作の刊行の翌年に、ドイルはナイト爵を受爵する。歴史的事実としては、これはボーア戦争の従軍記などの社会的活動に対して送られたものだった。しかし、当時の誰もがこれはホームズを死の淵から復活させたことに対する恩賞であると信じた。この誤解は、現在でもまれに信じられている。
バスカヴィルの名は、バーミンガムの印刷業者であったジョン・バスカヴィルに由来するのではないか、という説がある。

映像化 作品自体の人気にくわえて、ダートムアの景観を描いた紀行文学的要素や、「火を吐く魔犬」といった題材が好まれてか、ホームズ長編の中でも映像化された回数は多い。どの作品も大幅に筋書きが省略・改変されていて、主要なキャラクターが登場しないものもあり(とくにレストレード警部が省かれたものが多い)、「完全映像化」されたものはいまだ無い。

1939年のワーナーブラザーズ社のものは、ベイジル・ラスボーンが初めてホームズを演じた映画。当時まだラスボーンのホームズ役に懐疑的だったワーナーでは、彼でなく魔犬を宣伝ポスターの中心にすえるなどしたが、その後1946年まで14本が製作される人気シリーズとなった。

1959年のハマー・フィルム・プロダクション制作のイギリス映画『バスカヴィル家の犬』では、ホームズ役はピーター・カッシング。カッシングがもともとホームズファンだったこともあって、その演技は絶賛された。ハマープロは怪奇映画で知られた映画会社であり、作中の演出の随所に怪奇映画的味わいが見られる。なお、同作でヘンリー・バスカヴィルを演じたクリストファー・リーは、のちにシャーロックとマイクロフトのホームズ兄弟を両方演じることになる。

80年代からはテレビ向けの映像化が多い。1983年アメリカ製作のビデオドラマ版では『コナン・ドイルの事件簿(2000?2001)』でホームズのモデル=ジョゼフ・ベル博士を演じたイアン・リチャードソンがホームズ役。 上記の2作品では普通の犬だった魔犬が、燐光のエフェクトを加えられて禍々しいイメージに仕上がっている。

ジェレミー・ブレットがホームズを演じた『シャーロック・ホームズの冒険』の映像化は1988年。俳優のスケジュールでレストレードが登場せず、主演のブレットも残念がるコメントを残している。

2000年にはカナダでマット・フリューワー主演でドラマ化。原作とはがらりと変わった饒舌なホームズ像を演じた。

2002年にはイギリスでリチャード・ロクスバーグ主演でドラマ化されている。ホームズよりもワトスンが主役に近い描かれ方だった。魔犬は、コンピューターグラフィックで表現されている。

2009年02月20日

平面宇宙(ファーズ)での戦闘形態

平面宇宙とは、文字通り2次元の宇宙であり、通常宇宙(ダーズ:3次元)上にあるものが平面宇宙に入る際は、通常宇宙を切り取った「時空泡(フラサス)」を時空泡発生装置によって形成して、3次元を維持しなければならない。また、物理法則も通常宇宙とは異なる。時空泡の移動速度は、内部質量と反比例するなどである(このため、複数の艦艇が時空融合した時空泡で防御しつつ、攻撃に際しては「単艦時空泡」に時空分離して急速接近する戦術が用いられる)。電磁投射砲の砲弾も凝集光も時空泡外では存在できないため、平面宇宙戦闘は、敵味方の時空泡が重なった場合に起こる「時空融合(ゴール・プタロス)」によって発生する。そこでは3次元的な戦闘が行われる。ただし、時空泡発生機関を独自に持つ機雷を使用すれば、時空融合していない遠距離の敵艦を破壊することもできる。
タイム ハンド トリニタ テンシル ファクトリー ふたつ星 はなの舞 ブロイラー スペクタ だっと ラマズダ キーバス 後ろゆび ドラッ エンド もくと トップラ ヒップ トルテ ドーパミン ボケ インタ ファミ テレポ ぱらぴーの タリカ ピューレ カピタン セブサー 春一輪 レイガイド ポット レグルス ロビイ 秘密の花園 コバノ リンワキ ソフトサーチ ムチャコジ オルガン ゲッツ スプーン ランタ しゅいろ うしべに パンパ ブザー ロカール ランダム サブアリ

艦隊同士の平面宇宙戦闘は、通常まず多数の機雷を搭載した戦列艦同士での撃ち合いに始まる。しかし機雷は質量が大きく数が限られる上、防御機雷戦(機雷によって機雷を撃破する)や護衛艦による迎撃もある程度可能であるため、機雷のみで敵艦隊を全滅させることはかなり難しいようである。機雷戦の後、一方がダメージを受けるか機雷を撃ち尽くす等して満足に雷撃が行えない状態に陥ると、巡察艦もしくは突撃艦が敵時空泡と時空融合して戦闘をすることになる。戦列艦中心の部隊が巡察艦部隊による突撃を受けると戦闘は一方的な展開となりやすく、これを蹂躙戦と呼ぶ。

上記の戦闘形式は大艦隊同士の戦闘形態であり、小規模な局地戦ではこの限りではない。例えば大質量の機雷を多数搭載する戦列艦には機動力が低いという弱点があり、偵察と奇襲を主な任務とする機動力重視の偵察分艦隊に含むことはできない。偵察分艦隊は戦列艦より機動力の高い巡察艦のみで編成され、敵偵察分艦隊の迎撃には主に突撃艦がその任に当たることとなる。巡察艦と突撃艦の戦闘は、まず巡察艦が機雷を発射して突撃艦の数を減らし、その上で生き残った突撃艦と巡察艦が時空融合して戦う形となる。突撃艦は火力が弱く機雷攻撃にも弱いため、巡察艦を数でかなり圧倒しなければ勝利は難しい。

平面宇宙戦闘で一番問題となるのは、時空泡の中身は、質量でしか判断できないことである。泡間通信ができない場合、時空泡の質量から、経験と勘と運に頼って、敵か味方か、また艦種は何かを判断するしかない。何が出てくるかは実際に時空融合してみないと分からないこと、そして時空泡内の質量にも限界があることで、少なくとも襲撃艦6隻程度の質量が限界のようである(厳密にどの程度かは不明)。もっとも、限界質量に関しては戦旗IVにて明らかにされたため、戦旗IV以前の映像作品(特に戦旗I)との間に矛盾が発生している。なお、限界質量を超えると時空泡は分裂してしまうが、無規則に分裂するためどのような時空泡ができるか予測できず危険である。

平面宇宙と通常宇宙
そもそも、人類が銀河文明を築き得たのは、平面宇宙の発見と、通常宇宙と平面宇宙を繋ぐ「門(ソード)」利用技術の確立によるものである。

通常宇宙と平面宇宙との位置関係は1対1ではない。平面宇宙は通常宇宙の投影ではなく、別個の宇宙である。両空間における位置関係は全くのランダムである。 ただ、「第二形態ユアノン」または「開いた門」(単に「門」とも)と呼ばれる特異空間においては、平面宇宙と通常宇宙は1対1に対応している。ある門から平面宇宙に入って別の門から通常宇宙に出ると、光速以上の速さで移動したと同様の結果となる場合があり、このような「門」と平面宇宙を介した超光速移動のおかげで、人類は通常宇宙の物理法則から解放され、銀河文明を作りえたのである。

なお、ユアノンは常に一定のエネルギーを放出し続ける特殊な素粒子として発見され、人類はこの素粒子が放出するエネルギーを利用する亜光速宇宙船を建造していた(ジントの故郷も、そうしたユアノン推進宇宙船によって植民された星の一つである)。この「第一形態ユアノン」はすなわち「閉じた門」であり、放出するエネルギーは平面宇宙から流入してくるものであった。

戦闘においても、当然「門」は重要な拠点であり、制圧対象である。例えば、機雷を大量に「門」に放てば、防御機雷戦ができない艦隊は、なすすべがない。これは、通常宇宙から平面宇宙に機雷を撃つ場合(時空融合)も、その逆の場合(時空分離)も、真である。

平面宇宙の勢力図
通常宇宙の銀河系で中心部ほど星が濃密であるように、平面宇宙の「天川門群(ソードラシュ・エルークファル)」にも「中心円」と呼ばれる「門」が密集した領域が存在する。この領域は時空粒子流が激しく、アーヴといえども航行できない。また、時空粒子流は中心円から外側へ向かって流れるため、流れに逆らって進む時はその反対方向へ向かうのに比べて遅くなる。

中心円から離れると、「環(スペーシュ)」という門がある程度密集した同心円状の領域が飛び飛びに存在する。「アーヴによる人類帝国」を構成する八王国のうち7つと4ヵ国連合諸国はおおむね第1環から第7環までの「中央領域(ソール・バンダク)」に存在し、イリーシュ王国のみが第12環にある(第8環から第11環までにも、有人星系に通じる門が少数ながら散在する)。ジントのハイド星系が長らく帝国に発見されなかったのは、ハイド門が第12環の中でもイリーシュ門のほぼ反対側という「辺境」に存在するため、探査自体がほとんど行われなかったことによる。第12環から外側は門がほとんどないが、一部に門密度の高くなっている領域があると観測されていたため、遥か遠くに別の銀河系に由来する門群があると推定されているが、まだそこまで到達したものはいない。

帝都ラクファカールのあるアブリアル伯国には八つの門があるが、それぞれが平面宇宙側では八王国のどれか一つに通じている。このためにいわゆる「内線の利」を発揮する事が可能だが、逆に帝都が陥落すれば一気に分断されてしまう。『紋章』では人類統合体を主力とする連合艦隊が第12環に通じる2つの門からイリーシュ王国に侵攻し、帝都に通じるイリーシュ門へ向けて進撃した。

平面宇宙における勢力境界線はかつて地球上にあった国境ほど明確なものではないが、便宜的にそれに準じて記した勢力図が『星界の戦旗I』の付録に示されている(第12環以外の「環」は省略)。7つの王国は4ヵ国の支配領域の隙間を埋めるように存在する。中でもラスィース王国とスュルグゼーデ王国は人類統合体に楔を打ち込んだ状態になっており、『戦旗I』では、この王国を出撃基地として攻撃を加えている。

図上ではクリューヴ王国だけがハニア連邦内に孤立している。ただ、ハニア連邦は他の三国全てと隣接しているものの、大戦初期に中立を宣言していたため、アーヴ側もクリューヴ王国方面への戦力増強は控えていた。しかし、この領域が実は重大な問題であったことが、『戦旗IV』の最後で語られた……。

機雷と平面宇宙戦闘
星界シリーズにおける機雷は、我々の世界で海中に敷設する実在の兵器のようなものではなく、時空泡発生装置を持ち、敵艦隊に向けて高速で投射・誘導される、架空の兵器である。

通常のSF艦艇の主力兵器である、レールガン・荷電粒子砲といった兵器(無論、星界シリーズの艦艇でも装備しているが)は、平面宇宙では、時空融合しない限り意味を成さない。 敵の機雷攻撃に、味方の機雷をぶつけることで防御する防御機雷戦が必要なのは、そのためである。大量の敵機雷に時空融合されてから打ち落とすのでは、全てを打ち落とすことは不可能で、また打ち落とせたとしても時空泡内の質量が増して機動力が削がれ、艦隊運動に支障をきたし壊滅的被害を受ける。時として、数としては圧倒的に優勢な帝国星界軍艦隊が危機に陥るのは、補給不足や機動力重視の艦種構成ゆえの機雷の不足によるところが大きい。

2009年02月04日

秦氏(はたうじ)は、古代の氏族

秦氏(はたうじ)は、古代の氏族。東漢氏などと並び有力な渡来系氏族でもある。秦の始皇帝の末裔を称するが明確でない。
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日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となったというが、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられている(新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承がある)[1]。また一説には五胡十六国時代に氐族の苻氏が建てた前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もある。この説に基づくと弓月君が秦の(初代の)皇帝から五世の孫とする記述に反せず、「秦」つながりで渡来した人々が勝手に「秦」を名乗り始めたと考えてもさほど矛盾はないが、根拠は少なく今後検証の必要がある。

ハタ(古くはハダ)という読みについては朝鮮語のパダ(海)によるとする説のほか、機織や、新羅の波旦という地名と結び付ける説もある。また、俗説の一つには、ハッティー(ヒッタイト)からきているというものもある。

その後、大和のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。山背国からは丹波国桑田郡(現在の京都府亀岡市)にも進出し、湿地帯の開拓などを行った。雄略天皇の時代には秦酒公(さけのきみ)が各地の秦部、秦人の統率者となったという。欽明天皇の時代には秦大津父(おおつち)が伴造となり大蔵掾に任ぜられたといい、本宗家は朝廷の財務官僚として活動したらしい。

秦氏の本拠地は山背国葛野郡太秦が分かっているが、河内国讃良郡太秦にも「太秦」と同名の地名がある。これを検討すると、河内国太秦には弥生中期頃の高地性集落(太秦遺跡)が確認されており、付近の古墳群からは5~6世紀にかけての渡来人関係の遺物が出土(太秦古墳群)している。秦氏が現在の淀川の治水工事として茨田堤を築堤する際に協力したとされ、現在の熱田神社が広隆寺に記録が残る河内秦寺(廃寺)の跡だったとされる調査結果もある。そして、伝秦河勝墓はこの地にある。また、山背国太秦は秦河勝が建立した広隆寺があり、この地の古墳は6世紀頃のものであり、年代はさほど遡らないことが推定される。秦氏が現在の桂川に灌漑工事として葛野大堰を築いた点から山背国太秦の起点は6世紀頃と推定される。よって、河内国太秦は古くから本拠地として重視していたが、6世紀ごろには山背国太秦に移ったと考えられる。

山背国においては桂川中流域、鴨川下流域を支配下におき、その発展に大きく寄与した。山背国愛宕郡(現在の京都市左京区、北区)の鴨川上流域を本拠地とした賀茂氏と関係が深かったとされる。秦氏は松尾大社、伏見稲荷大社などを氏神として祀り、それらは賀茂氏の創建した賀茂神社とならび、山背国でももっとも創建年代の古い神社となっている。秦氏の末裔はこれらの社家となった。

秦氏で最も有名な人物が秦河勝である。彼は聖徳太子に仕え、太秦に蜂岡寺(広隆寺)を創建したことで知られる。またほぼ同時代に天寿国繍帳(中宮寺)の製作者として秦久麻の名が残る。

『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」に「又至竹斯國又東至秦王國 其人同於華夏 以爲夷州疑不能明也」と風俗が中国と同じである秦王国なる土地(瀬戸内海沿岸付近?)が紹介されているが、これを秦氏と結び付ける考えもある。また佐伯好郎は1908年(明治41年)1月、『地理歴史 百号』(主宰 喜田貞吉)に収載の「太秦(禹豆麻佐)を論ず」において秦氏は景教(キリスト教のネストリウス派)徒のユダヤ人であるとの説をとなえ、またルーツを古代イスラエルに求めたり、八幡神(やはたのかみ)信仰の成立に深く関わったと考える人もいるが、字音の類似などによる俗説の域を出ない。

八色の姓では忌寸の姓を賜り、その後、忌寸のほか、公、宿禰などを称する家系があった。

平安遷都に際しては葛野郡の秦氏の財力・技術力が重要だったとする説もある。平安時代には多くが惟宗氏を称するようになったが、秦氏を名乗る家系(楽家の東儀家など)も多く残った。東家、南家などは松尾大社の社家に、西大路家、大西家などは伏見稲荷大社の社家となった。伏見稲荷大社の社家となった羽倉家、荷田家も秦氏の出自という説がある。 また、高僧を含めて僧侶にも秦氏の出身者が、あまたいる。

秦氏が創建に関係した主な神社・寺院

神社
松尾大社
伏見稲荷大社
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
大避神社

寺院
広隆寺

東漢(やまとのあや)氏は、『記・紀』の応神天皇の条に渡来したと記されている阿智使主(あちのおみ)を氏祖とする帰化系氏族集団である。

『古事記』には、4世紀末の応神天皇の時代に、倭からの要請もあり、新羅や百済から技術者・文人が多く渡来し、その中に「秦造の祖、漢直の祖、が渡来した」と。『日本書紀』応神天皇20年9月の条に、「倭漢直の祖の阿智使主、其の子の都加使主は、己の党類十七県の人々を率いて来帰した。」と伝える。

東漢氏は集団の総称である。東漢氏は「倭漢氏」とも記述された。六世紀末頃までには河内国を本拠地としていた漢氏と区別するために両氏はともに、東西を氏上につけて区別した。それまではどちらも漢氏であったと思われる。

阿智使主の末裔の漢氏は飛鳥に近い檜隈を拠点としたことから東漢氏となり、河内に本拠を持っていた漢氏は西漢氏となった。両氏とも「漢」と書いて「アヤ」と読ませていることから実際は朝鮮南部にあった加羅諸国のうちの安羅国(現在の慶尚南道咸安郡)を中心とした氏族が渡来してきた可能性が提唱されている。

つまり「安羅」が「アヤ」となり呼称となったということである。そして、それらのアヤ氏のなかで伝わっていた「先祖は朝鮮北部にあった漢帝国に属した帯方郡から渡来した」という伝説から「漢」という文字をあてるようになったのではないかと考えられている。

また、東漢氏の技能と百済の先進技術との関係であるが、「書紀」の継体の条の記述によると百済から五経博士「漢高安茂」という人が派遣されており、それ以前に派遣されていた博士「段陽爾」と替えたいと百済は申し出ている。「漢」という名称そのものが元来から百済にあった可能性も考えられる。

くわえて東漢氏系といわれる「七姓漢人」という氏族集団があり、その姓に「高」「段」があることから、「高」は「漢高安茂」に由来し、「漢氏出身の高安茂」と読み、「高」が氏で「安茂」が名である可能性も考えられる。また、「段陽爾」の氏は「段氏」であろうから、「七姓漢人」は、上記の百済から派遣された「漢高安茂」、「段陽爾」に由来する一族と考えても差し支えはないと思われる。

注:「七姓漢人」とは、朱・李・多・皀郭・皀・段・高の七姓からなる東漢氏系の氏族。

門脇禎二(京都橘大学教授)は「東漢氏はいくつもの小氏族で構成される複合氏族。最初から同族、血縁関係にあったのではなく、相次いで渡来した人々が、共通の先祖伝承に結ばれて次第にまとまっていったのだろう。先に渡来した人物が次の渡来人を引き立てる場合もあったはず」と考えている。

漢王朝との関係
東漢氏の「漢」が「後漢帝国」に由来するかであるが、伝説は伝説でしかない。系譜などから東漢氏は奈良時代になって漢王朝との関係を創作し権威づけを行っていったことがわかる。『続紀』には東漢氏の渡来に関して「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れて朝鮮に移住したことや氏族の多くが才能に優れて朝鮮で重宝されていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきたという伝承が記載されている。

待遇
阿智使主の直系の子孫は天武天皇より「忌寸」の姓を賜り、他の氏族とは姓で区別がなされることとなった。

「掬」の代に東漢直姓を賜った。

技術者として
技術的には東漢氏はそれ以前から先進技術をもっていた秦氏の新羅系精銅・製鉄技術よりさらに新しい百済系の製鉄技術をもたらしたと考えられている。

文人として
東漢氏の一族には東文氏があり、文人としての官人をも輩出している。七世紀から八世紀頃には内蔵省・大蔵省などの官人を多く輩出するなど、計数に明るい一族で高度な数的管理能力を持っていたと考えられる。

武人として
東漢氏は蘇我氏の門衛や宮廷の警護などを担当している。崇峻天皇暗殺の際にも東漢氏の「東漢駒」が暗殺の実行役となっており、蘇我氏の与党であったが、壬申の乱の際には、蘇我氏と袂を分かって生き残り、奈良時代以降も武人を輩出しつづけた。そして平安時代初期には蝦夷征討で活躍した坂上氏の苅田麻呂・田村麻呂親子が登場する。

東漢氏と坂上氏
東漢氏の宗家ともいえる系統は坂上直姓初代坂上直志努の兄で東漢直山木の曾孫である東漢直駒が崇峻天皇の妃である河上姫と不倫関係となり、蘇我馬子の指図もあって天皇を暗殺したが、その結果、東漢氏の宗家は没落した。そのため、東漢氏の宗家は次男の志努の系統である分家坂上氏にもたらされたという。

ただし、東漢直駒に関しては不明な点も多く、東漢直駒は坂上氏初代とされる志努の子で坂上宿禰田村麻呂の直系の先祖にあたる坂上直駒子に比定する説もあり、その説によると、坂上氏が蘇我氏と袂を分かった理由は蘇我馬子の命令を忠実に果たした坂上駒子を蘇我馬子が口封じに殺害したために坂上氏が蘇我氏に対して恨みを含んだからだとしている。

そのため、坂上氏は東漢氏の宗家ではなく、東漢氏は末弟の東漢直爾波伎が継ぎ、東漢直角古、東漢直久爾、東漢直福因と続き、東漢直福因(倭漢直福因)は608年の小野妹子の遣隋使の際に留学生として同行し、623年に帰国し、「唐国に留まる学者は皆学びて成業したので帰国せしむるべきであり、大唐国は法式備わり定れる国であるゆえ、常に通交すべきである」と朝廷に奏上したと日本書紀に記されている。

東漢氏から出た諸氏:坂上氏、平田氏、内蔵氏、大蔵氏、丹波氏、文氏、調氏、文部氏、谷氏、民氏、佐太氏など。

2009年01月21日

グリーン (ゴルフ)

グリーン (Green) は、ゴルフにおけるコースの一要素である。フェアウェイよりもきめ細かに整えられた芝で構成されており、この区域内のどこかにカップ(ホールとも呼ばれる)が設けられている。ゴルフの基本的な目的は、自分のボールを効率よくグリーンに運び、そしてカップに落とすことである。

打球をグリーンに打ち込んで静止させたことを通例「オン」と呼ぶ。時に、カップに近いところに上手く静止させることに成功した場合「ナイスオン」といって讃えることがある。

グリーンの上では、パターと呼ばれる特殊なクラブを通常用いる。パターは他のクラブと異なり、ボールを空中に飛翔させることができず、地面を転がせる働きを持つ。パターを用いることを「パッティング」と呼ぶ。グリーン上ではパターを使わなければならないわけではなく、プロのトーナメントでは複雑な形のグリーンで、ショットを行う選手を見かける。ただし、アマチュアのショットはグリーンを痛めるため、アマチュアにおいてはローカルルールで「グリーン上ではパターを用いること」というルールがある場合が多い。

プレイヤーの会話では「スリーオン・ワンパットでバーディ」という表現が頻繁に行われる。これは、

3回のショットで打球がグリーンに到達し、
その後1回のパッティングでカップにボールが入り、
その結果、規定打数より1打少なくすることができた。つまり打数は4、そこの規定打数は5である。
という意味である。

もし、ティーグラウンドから打ち出したボールがそのままカップに入った場合「ホールインワン」とされ、高い評価を勝ち得ることができる。しかし日本国内では必ずしも喜ばしいものではなく、多額の金銭負担がその本人にのしかかってくる。俗にホールインワン保険と称されるゴルファー保険にあらかじめ加入していればその負担が軽減される。

グリーンとそれ以外の区域を隔てる部分のことを「カラー」(Collar、襟の意味)もしくは「フリンジ」(Fringe、縁の意味)と呼ぶ。グリーン上の芝よりも若干荒い芝が植えられていて、その名の通りわずかに隆起している。前述の会話のような文脈では、打球がカラーでとどまってグリーンに達しなかった場合、「オン」とはいわない。カラーは外部から転がってきた打球がグリーンに入ることを阻むとともに、グリーンから(誤って強く打ってしまった)打球がグリーンの外に出ることを防ぐ防護壁として作用している。

戦略
グリーンに至るまでは腕力に任せた強引な手法も通用するが、グリーンの上では慎重さや冷静な計算力などが重視される。いくら飛距離が出せても、正確なパッティングが決められなければ成績の向上は見込めない。逆に言うと、少々飛距離の面で劣るプレイヤーであっても、グリーンで上手く振る舞えれば弱点をカバーすることができる。

テレビ放送などで、グリーンの上でしゃがみ込んで芝生の随所に視線を傾けている場面をよく見かけるが、これは現在の場所からカップの位置までどれくらい距離があるのか、どれくらいの傾斜なのかを推測している行為である。

ホールがボールより高い位置にある場合を上り、低い位置にある場合を下りと言う。下りより上りのほうがボールが止まりやすいため、上りになる位置に「オン」させるのが基本的な戦略である。また、グリーンの芝がどのような状態にあるかということも、グリーン上の戦略では意識しなければならない。俗に、ボールが早く転がる状態の芝を「速い芝」、その逆を「遅い芝」と呼ぶ。この状態は常に変化している。たとえば雨が降っていたり、あがってから間もない場合は「遅い芝」になりやすい。また、芝の生育条件により、そのグリーンの芝は特定の方向性をもっている。これを「芝目」と呼ぶ。これは打球に対する抵抗を左右する条件になっている。また、グリーンの芝の品種は主にベント芝と高麗芝の2種類が使用されている。高麗芝のほうが「速い芝」であり、難しいとされている。

コースを形成するほかの要素と同様、グリーンと一口に言っても様々なタイプがある。 単純で難易度の低いグリーンは、その面積が狭く、平面に設けられたものである。 斜面や、面積の広いグリーンも扱いにくい。
粉雪 きくらげ せつごう ラックタイ ドンパ クーラント リコピ サイクル チャドル ドライブス ダウWEB ブイゾーン プレ ドライ ネック ヒーリング ビーチ プードル ルレット スクレ ジーディ ペチュニア イーゼル アブラカ センター ゆり根 アカシジミ クール プロシー キッコ スリー ラケナリ さびいろ しのだけ ハイ ブレー セリーグ タブロー オクラ ナビスト てくぼ ファンネル バイド 光の街 ジャロ ユーロ イギリス ストーリ 気合だ メンズリブ

2段グリーン
複数の高さの平面をつなぎ合わせた階段状のグリーンは難易度が高い。階段状のグリーンはその構造上面積がどうしても広くなるため、打球がオンした場所によっては絶望的なくらい難しくなる。
砲台グリーン
丘の頂上の部分がグリーンになっている形のグリーン。グリーンにオンさせることが難しく、パットもグリーンの外に落ちるよう斜面になっているものが多く、難易度が高い。

ルールとマナー
グリーン上ではコースの他の場所と違い、マークを行うことで自由にボールを取り上げることができる。マーク後はボールを拭くこともできるが、ボールの交換はコースのほかの場所と同様にボールが損傷している場合に限り、他の競技者の確認を持って行える。マークを行うかどうかは競技者の自由である。グリーン上からの打球が、他の競技者のグリーン上のボールにあたると、2罰打のペナルティとなる。そのために、他の競技者にマークを行うことを要請することができる。そのほかにグリーン上からの打球が、抜かれていない旗竿、置かれた旗竿、自分自身、自分の道具やキャディーにあたると2罰打のペナルティとなる。

マークはボールのホールから遠い側にマーカーを置くことで行う。マークにボールを戻すときは、マーカーの前にボールをリプレースする。マークに使う「マーカー」は硬貨(1円玉)程の大きさで、地面に固定しやすくするため中心に短い足がついている。ゴルフ用品店に行けば多種多様のマーカーが販売されていたり、コース独自の記念品的な意味合いの高い特製マーカーも出回っている。さらに製造業者に依頼して自分自身のオリジナルマーカーを作る者もいる。それを鑑賞するための額縁なども販売されている。マーカーを集めることはゴルフの趣味的な一要素として広く好まれている。

フェアウェイ同様、芝は常になめらかな状態にしていなければならない。自分のショットにより芝が傷ついたなら速やかに修復しなければならない。自分の傷つけた芝により、相手の打球が悪い結果になるようなことをしてはならない。特にバーディやパーを決めて喜んでいながら修復しないというのは、悪意のある行為と解釈されても仕方がない。ただし、パットの線(競技者がボールを転がそうと意図する線)上で修復できるのはボールマーク(ボールが落ちたときにできたくぼみ)だけである。パットの線上のボールマーク以外(スパイクの跡等)を修復すると2罰打のペナルティとなる。

前述したように、グリーンでしゃがみ込んで打線を検討するのは必要な行為である。しかしそれにこだわりすぎたり、プロ選手の真似事などで過剰な検討を行うのは好ましくない。検討する力も重要だが直感で決断できる能力も必要である。いかなる場合でも円滑なプレーの進行を妨げてはならない。

2009年01月14日

魔動王グランゾート

『魔動王グランゾート』(まどうきんぐ ぐらんぞーと)は、サンライズ制作のファンタジー系ロボットアニメ作品。1989年(平成元年)4月7日から1990年(平成2年)3月2日まで日本テレビ系で毎週金曜日17:00 - 17:30(JST、一部の系列局を除く)に放送され、後にOVAが2編作られた

西暦2050年。月面で突如起こった大地震により、その裂け目から月に空気と重力が生まれ、やがて月に人々は移民し町が形成されていった。

それから半世紀後の西暦2100年。町内の福引きで月旅行を当てた少年遙大地は、月で自作のジェットボードで飛ばし迷子になった途中、オルゴールの音色で忽然と現れた"ウサギ人間"の少女グリグリに遭遇する。突然のことで混乱し彼女の住処に転がり込んでしまう。そこにもう一人、彼女の祖母である大魔法使い「V-メイ」から自分たちが耳長族と呼ばれる種族であることを告げる。そこへ、彼らと敵対する「邪動族」の攻撃が。言われるままに「魔動機」の一つ「魔動銃」を使い耳長族に伝わる魔動王「グランゾート」を召喚する大地。戸惑いながらもグランゾートとともに尖兵「ヘルメタル」を撃破。偶発的に魔動力を発揮。メイは大地こそが邪動族と戦える「魔動戦士」だと言う。武者修行中の少年ガスと耳長族の少年ラビを加え、彼らは邪動帝国の手に落ちたラビルーナと聖地ルナを解放する旅に赴くことになる。

登場人物

主要人物
遥大地【はるか だいち】 (声:松岡洋子)
本編の主人公。元気いっぱいの小学五年生。2089年5月5日生まれ。11歳。家族構成は父の「大樹」、母の「美恵」、弟の「大空」、祖父の「大河」。勉強は苦手だがメカの操縦や製作は得意で、自作のジェットボードに乗る。大好物は母の手作りシュークリーム。ニンジンが苦手。彼のオルゴールは劇中で重要な役割を果たす。
ガス (声:松田辰也)
月生まれの地球人二世で11歳。大変な力持ちで大食漢。性格はお人好しで礼儀正しく、普段は冷静だが悪に対しては容赦しない。武者修行の途中カーニバルタウンの山車で潰れそうになった大地たちを助けたのがきっかけで仲間になる。「オジジ様の遺言なんです」が口癖。10月10日生まれ。大好物はおにぎり。両親は地球で酪農経営をしており存命しているが、小説版によれば両親は幼い頃に事故で亡くなったらしい。
ラビ (マリウス・フォン・ラーマス) (声:安達忍)
耳長族の一種族である「高耳族」の11歳の少年。格闘独楽回し大会のチャンピオン。大変な個人主義で負けん気が強く、大地とはよく衝突するが、性根は優しく人情話に弱い。本人曰く三人の中で一番の大人と自慢するが、それは数多くの年上の女の子と可愛い同世代の女の子にアプローチをかけた事から来るもので、本当は一番の子供。キャラクター人気投票では1位を獲得している。月面では人間の祖父と暮らしていたがその死後オセロとドミノに拾われ海賊まがいの稼業に明け暮れていた。俊足の持ち主で鍵の開錠が得意。好物はオムライス。ヌルヌル・ネバネバしたものが苦手で、マジカルゴにも乗りたがらない。水の戦士に選ばれながらカナヅチで、それ故「水」にまつわる事柄が付きまとっていた。実はV-ラーマスの孫であり、後にアグラマント自身からその事実を告げられる。だが、小説版では「高耳族」と地球人のハーフという設定である。
グリグリ (声:林原めぐみ)
白耳族の少女でメイの孫。5歳。天真爛漫な性格。「きゃわ?ん」「?グリ」が口癖。魔法はニンジンを出す魔法とマジカルトランポリンだけで、ほとんど役に立たないが、たまに大地たちのピンチを救ったこともある。呪文は「ホロレチュチュパレロ」。暇さえあれば魔法でニンジンを出してかじっている。一人称は「ボク」。
V-メイ【ぶい・めい】 (声:鈴木れい子)
グリグリの祖母。75歳。炎を司る大魔法使い。大地たち若き戦士を導く。趣味は惚れ薬の調合。詠唱は「ヤロレパパ」で済ませる。ちなみに「V」の称号は最高位の証で世襲制である。
ハピ(声:光野栄里)
聖地ルナに住む小動物で、グリグリのペット。邪動族が接近すると毛を逆立て怒る。昔は頻繁に番犬代りとして飼われていたらしい。
マジカルゴ
第5エリアに住んでいた、巨大なカタツムリに似た生物。体に付着している光の砂の力により、エリアを元の世界に戻した。その後は乗り物代わりに大地達の旅に同行する。
ニジンスキー・スカラバカヤ(声:龍田直樹)
自称「月面考古学博士」。月面に飛ばされた大地たちと行動を共にし、ラビルーナに戻る手助けをする。周囲になかなか名前を憶えてもらえず、通称「ニンジン博士」、ラビからは「ニンジン好きのウスラ馬鹿?」と言われる。彼の自宅のデスクの上にDr.バイブルらしき人物と一緒に移っている写真があるが、2人の関係については一切語られていない。グランゾート関連の出版物の中には2人を「兄弟」と説明しているものも存在する。

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